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第三幕 花火の下で

last update publish date: 2026-02-10 06:00:54

 初めてを、二人で積み上げる——

 暦は七月になっていた。もうすぐ、結城ゆうきさんと初めて過ごす夏休みがやってくる。

 先日の件で、僕たちの仲は公認カップルとして認められていた。

 思い出すと熱が戻ってくる。だから、あの日の記憶を、頭の隅に閉じておく。

 最近は、そのおかげで恋人だという実感が、少し追いついてきた。

 部活後の帰り道。いつものように並んで歩く。自然と手を取り合うくらいには、距離が近くなっていた。

直哉なおやくん、もうすぐ夏休みだね。楽しみ!」

「夏の予定は何かあるの?」

「部活と……お盆におばあちゃんの家に行くくらいかな」

 結城さんの足取りは、スキップしそうなほど軽い。

「今年の夏は、いっぱい遊ぼうね」

「うん、僕も楽しみだよ」

「夏祭りも行こうよ!」

 心臓が、一拍遅れて跳ねた。

——デートだ。

 まだ二人きりで出かけたことはない。夏休みの楽しみが、どんどん増えていく。

「ところで……直哉くん」

「ん、なに?」

「いつになったら、名前で呼んでくれるの?」

「えっ……」

 公表した日から、結城さんの呼び方は変わった。だけど、僕はまだ踏み込むことができない。

「……もう少し待って、ね」

「えー」

 頬を膨らませる彼女に見惚れていると、今後は睨まれた。

(全然、怖くないや)

 僕の口元が緩んだのがバレて、さらに彼女は膨れた。

 夏休みに入っても、僕たちは毎日のように学校へ行く。結城さんはもとより、僕も最近は特に創作熱が高まっている。

 まもる黒崎くろさきくんと集まるようにもなった。宿題を手伝ったり、ゲームをしたり。今まで一人でやっていたことを、みんなでする。自分の視界が広がっていくのを感じていた。

 祭りは八月に入ってすぐに行われる。それまでの毎日は、今までにないほど充実していた。

 そして、夏祭り当日がやってきた。

 僕は先に約束の場所に到着する。結城さんを待つ時間も悪くない。今日も暑かったが、夕方になり過ごしやすくなってきた。

 その時スマホが震えた。通知が守からのLINEがあることを告げる。

 スマホを確認すると『がんばれよ』の一言だけ。僕の身体から余計な力が抜けていく気がした。

「直哉くん、お待たせ」

 待ち合わせ場所に現れた結城さんを見た瞬間、言葉が出なくなった。

 淡い水色の浴衣。髪が結い上げられている。いつもと違う彼女が、こちらを見て首を傾けていた。

「……どう、似合ってない?」

「可愛い、よ」

 思わず口から出ていた。

 結城さんの目が、大きく見開く。それから、いつもの目を細める笑い方。頬が一気に赤くなった。

「もう……そう思ったのなら、最初からそう言ってよね」

「描きたくなるくらい……綺麗だから見惚れてた。ご、ごめん」

「ふぁ」

 変な声を出して、結城さんは背中を向けた。耳も赤いが、うなじまで赤く染まってきた。

「な、何でそういうことは、すんなり言えるの?」

「どういうこと?」

「もういい……行こ?」

 結城さんは背を向けて歩き出した。僕は慌てて追いかける。

 商店街の両端を屋台が埋め尽くしている。終点となる神社に近づくにつれ、人はどんどん増えていく。屋台の匂い、子どもの笑い声、太鼓の音。全てが混ざり合い、夏の空気になっていた。

 最近は守としか来ていなかった祭りが、今日は何もかも新鮮な光景に感じていた。すれ違う人が振り返るのも、なかなか体験できないことだった。

 人混みに押されて、結城さんがよろける。

 僕はとっさに手を取った。結城さんは何も言わないが、少しだけ強く握り返してきた。

 神社に向かってゆっくり歩きながら、屋台を覗く。結城さんは、りんご飴とたこ焼き。僕は焼きそばを買い、二人で食べた。

「結城さん、意外と食べるよね」

「うっ……言わないで……」

「いいと思うよ、ダンスって消耗するでしょ?」

「そうだけど……」

 食べる姿が一生懸命で、ずっと見ていられる。僕は笑いを堪えながら、飲み物を手にした。

「はい、どうぞ」

「ありがとー」

 その穏やかな横顔は、屋台の灯りに照らされて神秘的な雰囲気を纏っている。

「……また、見てる」

「うん、結城さんの横顔……本当に綺麗だから」

「うー。また、そういうこと言うんだから」

 結城さんは顔を伏せてしまった。その仕草を見ていると、また口が緩む。

「結城さん。近いうちに、結城さんの絵、描かせてよ」

「えっ、描いてくれるの?」

 伏せていた顔をあげて、目を輝かせる。表情がコロコロと変わるので、見ていて飽きない。

 スマホで時間を確認すると、後三十分ほどで花火が上がる時刻だ。僕たちは花火が見やすい場所を探すことにした。

 人混みから少しだけ離れた場所で、二人並んで座る。

 夜風が、結城さんの浴衣の袖を揺らしていた。

「ねぇ」

 さっきより、祭りの喧騒が遠く感じる。

「どうしたの?」

「……来年も、また一緒に来れるかな?」

 声に滲む重さを感じて、僕は結城さんに視線を移す。

「うん、来よう。二人で」

 結城さんも僕に顔を向ける。

「……なんで、言い切れるの?」

「ずっと、一番近くで見ていたいと思うから……」

 その言葉が、僕の中から溢れ出た。結城さんは、前を向いた。そしてゆっくりと、僕の肩に頭を預けてくる。

 その感触を感じた時、僕は息を止めた。

「……約束だよ」

 やがて——花火が上がった。

 大きな音と、瞬く光。人混みがどよめく。

 僕たちは立ち上がり、空を見上げる。光が弾ける度に、その振動を身体に感じる。

「わぁ! すごい、すごい!」

 結城さんは無邪気に小さく飛び跳ねている。

「うん、綺麗だね」

 歓声をあげる彼女に、顔を向ける。

 夜空に花火が咲くたびに、その横顔が色を変える。

(綺麗だ——)

 大きな瞳に花火を映し、彼女は微笑んでいる。

 もう、花火の音は——聞こえていない。

 僕が見ているのは、彼女だけ。

 気づけば、手を伸ばしていた。

 彼女が僕に顔を向ける。

 何だか、少し驚いたように目を開いた。

 僕の手が、彼女の頬に触れた。

 そして——

 彼女の唇に、軽く触れるだけのキスをした。

 ほんの一瞬、でも時間が止まった——

 花火は終わりに向けて、盛り上がりを演出している。

 音も、周りの歓声も戻ってきた。

 彼女の顔を伺うと……真っ赤だった。でも、目を細めて微笑んでいる。

「……直哉くんが、してくれるとは思わなかったよ」

「……ごめん」

「なんで謝るの」

 僕は息を整える。

「さ、沙友里さゆりのこと……もっと知りたくて……」

「えっ……」

 小さな驚きの声を出して、沙友里が顔を向ける。

「やっと……やっと、呼んでくれたね」

 今だけは沙友里の方を見れない。だけど、繋いだ手は離さない。

「来年も……その、沙友里と二人で花火が見たいな」

「ふふっ……じゃあ、ずっと独占しててね、直哉……」

——そうか。今夜だけは、みんなのアイドルを独り占めしていたのか。

 花火の音よりも、心臓の音が一番大きかった。

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